子育てのヒント

がんばれ!シングルファーザー ~残業、出張の時~

2015年9月13日

父子1

私がシングルファーザーになった時は、上の娘が小学2年生、下の娘は保育園をあと半年で卒園するようなタイミングでした。単身赴任先の浜松に子どもたちを慌ただしく連れてきて、下の娘はどうにか職場の目の先にある保育園に入園でき、上の娘はちょっと離れた小学校に通わせていました。

家電量販店の店長をしており、店の営業時間は午前10時から午後8時まで、出勤時間は午前9時から午後9時までのまるまる12時間働いていました。役職は店長で管理監督者の立場だったので、残業代はつきませんでした。月間100時間程の残業時間でどのように育児をこなしていたか、我ながら不思議に思います。

朝、上の娘を小学校に送り出し、下の娘を8時半頃クルマに乗せて、保育園へ連れて行きます。9時前には出勤してそのまま働き、夕方5時頃に店の売上金を銀行に届けついでに店を出て、下の娘の保育園、上の娘の学童保育に寄り、銀行の夜間金庫に現金を入れて、コンビニに寄って食べるものを買い、自宅に子どもたちを置いて、職場に戻ってそのまま夜9時まで働いていました。

当時は40才で体力と精神力と健康には自信があり、この生活をこなせると思っていました。しかし1年も経たないうちに、突然、腸閉塞という病気になり入院するはめになりました。仕事一辺倒の私でしたが、この病気を機に人生観が180度変わり、2年後には13年間働いたこの会社を辞めることになりました。残業はほどほどにしていた方が身のためです。

次に転職した会社は社員4名ほどの小さな会社です。土木緑化資材を扱い、全国に出張がありました。入社面接時「1週間の出張が出来るか」と聞かれましたが、「まだ子どもたちが小学校の低学年、3日間の出張が限界」と答え、なんとか採用されました。さすがに3日間の出張でも、子どもたちを残してくるのは心配です。当時は下の娘が小学3年生、上の娘が小学5年生で、危険なことは百も承知の上で出張していました。例えば、ガスレンジではなく電磁調理器を使わせるなど、出来ることは工夫していました。とりあえず、姉妹ふたり居てくれたことが助かっていました。

その会社に3年ほど勤めていると、売り上げが伸びないことも出てきました。そんな時社長は、面接時の約束も関係なく、1週間の出張を命じてきました。その頃は九州地方を回っていたので、簡単に帰れる距離ではありません。それでも事故もなく、なんとか過ごしてくれた娘たちに感謝しています。その頃も出張の後、体調を崩して腸閉塞で入院してしまい、その会社もやはり4年ほどで辞めてしまいました。

父子家庭で、子どもを育てるということは、並大抵のことではありません。少なくても私にとってはそうでした。協力してくれる肉親が居れば頼ることをお勧めします。がむしゃらに働いても結果、子どもたちに充分に対応できず、仕事も続かなく、何もかも中途半端になってしまう。仕事も子育ての両立どころか、両方ともおろそかになる可能性があります。それならば、男親でも子育てに比重を置いた方が幸せかもしれません。

子どもたちに充分に対応できていたとは、思っていません。父子家庭のお父さんはどうしても弱音を吐けない、ひとりで抱え込んでしまう、そんなお父さんの一人でした。もう少し行政に相談するとか、知り合いに頼るとかは考えるべきでした。現在、ひとり親支援の活動をしているのも、そのときの後悔から始まっているのかもしれません。そして、現在のNPOでは、父子家庭のお父さんたちと少しずつですが、知り合いになって、顔の見える関係を増やしています。たとえば父子相談室に電話して頂いた父子家庭の木工工場の経営者の方と現在、イベントを協働でおこなっています。子どもたちと一緒にバーベキューや木工イベントや料理教室、浴衣着付け教室に参加していただき、子どもたちの表情、ひとつひとつに触れることに、家族同士の信頼関係が出来ていくと思っています。母子家庭や父子家庭の親子の姿を見ると、とっても親近感がわいてきます。私たちは子育ての当事者同士です。その共通の立場がそうさせると思います。そんなネットワークを少しずつでも増やしていきたいと活動しています。

文/NPO法人サステナブルネット理事長 渡邊修一さん

ひとり親家庭