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保育は一生もの

介護.jpg7月までは元気に自立した生活を送っていた81歳の母は、今年の夏、内臓疾患のため消化器内科に入院した途端に元気を失い、神経内科でパーキンソン病と診断されました。
9月末に退院して自宅に戻り、日中はヘルパーさんの手を借りながら家族で介護をしています。
そして気が付きました。
母が求めること、それは保育において基本とされるケアーでした。
安らかに眠り、安心して食事し、心地よく便を出す、これを保障することが介護そのものでした。
これに身体を動かすリハビリが加わりますが、心のリハビリ・家族との交わりや愛されている実感も必要となります。
食事の際に「お母さん、口を開けて、あーん。はい、ごっくんして、よく呑み込めたね。」と私も一緒に口を開けながら介護する様は、保育での乳幼児の食事場面と同じです。経口栄養が不足すると胃管処置になるとの医師の警告に触発され、家族は口から食べてもらおうと必死で食事介助をしました。
おむつ交換に加えて、家族が求められたのは安眠保障、数時間おきに体位交換することだけでなく、安心して眠りにつく保障でした。「私が眠るまで、側にいて、手を握っていて。」と頼まれたとき、母はまさに大きな赤ちゃんになったのだと実感しました。
保育の世界では、午睡時に寝付きの悪い子どもの背中を保育士がさすったり軽くたたきながら、時には子守唄を歌って寝かしつける場面があります。薬の副作用による幻覚症状で意味不明なことをつぶやく母を安心させるために優しく声をかけながら、眠りにつこうとする母の手を握る介護者である私は、まさに保育者の心境なのです。
精神分析学者・E.H.エリクソンの心理社会的発達理論による「乳児期の基本的信頼・対・不信」においては、基本的信頼(Basic Trust)獲得の鍵は快眠・快食・快便の保障にあるとされます。
時として乳児期に戻ってしまったような母の介護において、今はこの基本的信頼を再確認しているところです。
エリクソンによる「老年期の統合性・対・絶望」の淵にいる母に、いかに肯定的に自分の人生を受け入れてもらえるかが今後の課題になるのでしょう。

かつて私が母から受けた保育を介護として母に返すこと、このことに今は不思議な使命感を感じます。
健康とは言えなくなった母がこれから何を生きがいに生きていくのか。
何を生きがいとして生かしてあげられるのか。
この課題の鍵は、ケアー・Careという保育の精神の先にあるのではないでしょうか。
保育は一生ものだと確信しているこの頃です。

文/海野 展由さん 浜松大学 健康プロデュース学部 こども健康学科

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