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<音楽の都>の浜松っ子たち 佐野元春・甲斐よしひろもツアーに選ぶ名物ライブハウス『窓枠』会長・上嶋常夫さん

<音楽の都>の浜松っ子たち

世界に名だたる楽器メーカー、ヤマハ、カワイ、ローランドの本社がある浜松。

国際コンクールのみならず、市民主体の音楽イベントも頻繁に開催される浜松。

「ここで生まれ育った人は、必ず何らかの楽器を弾ける!?」という噂も囁かれる浜松。

この<音楽の都>を舞台に、浜松っ子たちの<音楽>にまつわるエピソードを聴きたい!

そんな特集企画が思い浮かび、ぴっぴ代表の原田がすぐに連絡をとったのは、ライブハウス『窓枠』の上嶋常夫さん。

魂が揺さぶられるままに、企画を思いついてすぐに実行する、カッコイイ親父だーー

上嶋さんの後ろ姿

取材/原田博子・佐藤譲

絶対にありえないライブハウス

「うちはね、婆さんと爺さんがね、お客と喋るだよ」

そう語る上嶋さん。婆さんと爺さんとは、上嶋夫妻のこと。ライブハウスに来たお客さんは、上の階にあるカフェスペースで荷物を預かってもらえる。上嶋夫妻と話すお客さんは2、3回来れば顔見知りになる。
『窓枠』は浜松駅から徒歩で10分ほど、ゆりの木通り沿いの好立地。450人ほどのキャパには、ギュウギュウに詰めれば500人は入り、熱気が押し寄せる。ライブハウスの醍醐味だ。

「この前、ヤバイTシャツ屋さんっていう浜松出身の子がドラムをやっているバンドが対バンをやったんだ。そしたら、あのちゃんが来てさ。どこにも情報を出していないんだけど、すごい数の人が押し寄せたよ」

「佐野元春がツアーの1番最初に『窓枠』に来るんだ。甲斐よしひろも『窓枠』でライブをしてくれる。ビッグネームの彼らが、こんな小さな場所でやるなんて、絶対にありえないことだよ」

『窓枠』はミュージシャンとお客さんに愛されて、コロナ禍の苦境も生き残った。
ぴっぴの原田がはじめて上嶋さんと会ったのは、『窓枠』主催の子どもたちへカブトムシをプレゼントするイベント。「ライブハウスでカブトムシをくれるって、どういうこと?」と不思議に思った原田が訪ねた先に、上嶋さんの笑顔があった。

上嶋さん

5億の借金を元気に返済中

もともと、上嶋さんはサッシをつくる会社の2代目。
ライブハウス『窓枠』をつくるに至るきっかけをひもとくと、ヤマハ「おとなのピアノ教室」の存在がある。上嶋さんが40歳になる頃に、その1期生となってピアノに触れた。発表会のときは、なんと、ゲストで宇崎竜童が登場。舞台袖で宇崎さんと話した内容を上嶋さんはよく憶えている。それが未来の企画へ繋がっていくのだが、これはまた別のお話ーー。
40歳を超えて自宅にグランドピアノを買った上嶋さんは「土建屋だからお手の物」と家に防音設備を施す。その頃には、ご自身の子どもたちがロックバンドを組んでいて、彼らのたまり場にもなった。また、上嶋さんのもとにアマチュアのミュージシャンが集まって、いつしか、上嶋さん自身がバンドのボーカルになっていた。YKKで設計をやっている男の子がドラムを叩き、のちに『窓枠』の店長になる男の子がベースを担当。防音室があるから、気楽にできて楽しかった。

「狭いウチだけれどもね、みんなの奥さんとか子どもも連れてきてさ。お昼ご飯をみんなで食べるんだよ。冬はお鍋やったりしてね。
ライブがある前は毎週何回も練習して、最終的に市民会館でライブをやった。その時の舞台にね、うちの息子たちの高校生バンドも出てもらった。
9月にやったんだけど、フラフラになっちゃって、ようやく生き返ったとなったら正月過ぎてただ」

舞台に立つことは、膨大なエネルギーを使うから、フラフラになるのも頷ける。夢中になった上嶋さんの姿がありありと思い浮かぶ。
ある日、上嶋さんは「ロックをやるところがないじゃないか。俺はロックだ!」と急に言い出して、物件を探し始めたそうだ。そうして、今の土地を見つける。

「静銀(静岡銀行)の担当者に、5億貸してくれって言ったんだ。ここにライブハウスをつくりたいって。そしたらさ、あれよあれよと、どんどん進んじゃってさ」

そうして、「30年で5億円」の借金をして、ライブハウス『窓枠』をつくるに至る。

静岡銀行の担当者から言われた言葉が上嶋さんの心に深く刻まれている。今までたくさんの社長を見てきた銀行マンから「上嶋社長はカッコイイです」と言われたのだ。上嶋さんはビックリすると同時に、嬉しかった。

「そういうのって、励みになるよね」

そう上嶋さんは噛みしめて、現在も元気に借金を返済中だ。

魂が揺さぶられる映画づくり

上嶋さんと土屋さん

上嶋さんは土屋太鳳さん主演の映画「果てぬ村のミナ」の企画も手がける。浜松市天竜区水窪町を舞台にした作品で、そのプロデューサーが上嶋さんなのだ。地域活性化プロジェクトの一環として、地元企業に呼びかけて製作した。
土屋太鳳さんはその後、NHK連続テレビ小説「まれ」の主演が決定し、全国的なスターになっていく。
この作品に思い入れのある土屋太鳳さんは、映画公開から数年後、再び『窓枠』を訪れて、壁面にサインを残していってくれた。今でも大切にしている。

現在、上嶋さんには映画化したい企画がある。そして、ぞくぞくと上嶋さんのもとへ撮影仲間が集まっているそうだ。

「この前、作品のモデルになった先生に言いに行ったんだ。小説か映画にする、って。そしたら、『上嶋くん、驚かしたらいかんよ』と喜んでくれた。嬉しいですよ、それは」

企画が動き出すとき。
そこには、魂が揺さぶられている上嶋さんがいる。
そして、笑顔になっている誰かがいる。
その熱い振動が、周囲を巻き込んで、いつしか渦になっていく。
きっと、近いうちに本当に形になっている。

上嶋さんには、ずっと心がけてきたことがある。
それは「絶対に悪口を言わない」こと。そして「疲れたと言わない」こと。
「お疲れ様」も言わない。言うならば「ありがとうございます」だ。

ステージの上嶋さん

そんな上嶋さんが最近夢中になっているのは「ブラジル」。浜松にはたくさんのブラジル人が暮らしている。彼らと交流が盛んで、『窓枠』のビルの一室をブラジル人に貸している。今では領事館も巻き込み、浜松で日本人とブラジル出身者の共生を実現する企画をつくっている。

常に新しいことが浮かぶたびに、動いていく。
次に上嶋さんと会った時には、何を思いついているのだろう。

特集【<音楽の都>の浜松っ子たち】は、
<音楽>にまつわることを中心に、思いつくまま訊いていく企画に育てていきたい。
今後の不定期連載を、乞うご期待!

文/佐藤譲
取材日/2023年11月6日

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