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木俣雅代さん いなさプレーパーク代表

子どもの「今」を大事にしたくてつくった、思い切り遊べる場所。「あーたのしかった!」がパワー源です

 木俣雅代さん

「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、一切の禁止事項をなくした子どもの遊び場、それが「プレーパーク」です。1943年に北欧デンマークで生まれ、 1970年代に東京でも開催する人々が現れました。静岡県県西部では2000年代に入って三ヶ日・細江・浜松・引佐で始まり、引佐での活動は現在も続いて います。
いなさプレーパーク代表の“おかみさん”こと木俣雅代さんは、日本コマ回し普及協会の会員でもある遊びの達人。子どもと遊びをめぐる話題になると、語る想いが泉のように尽きません。
 

たった3人で、自宅路地裏で始めた遊び場が地域のプレーパークに育っていった

いなさプレーパーク

木俣さんが結婚して浜北から浜松に移り住み、公園を散歩していたときのこと。男の子二人がやってきて、ブランコに座ったかと思うと、ゲーム機を取り出して 遊び始めました。二人はひとしきりゲームをすると、またそれぞれのポケットにゲーム機をしまい、立ち去っていきました。「その間ずっと、二人は一言もしゃべらず、だったんです。“会話なし”って!? と、衝撃を受けました。もっとおもしろいもの、おもしろいことが他にいろいろあるのに、ゲーム機だけが遊びの世界だなんて。そう思って見てみると、公園で遊ぶ子どもの姿が見えないことに気づいたんです。塾とお稽古とスポーツ少年団に通っていたとしても、間の時間は、昔の子どもたちなら公園や道端でひたすら遊んでいたでしょう? でも、今はゲーム。そして、親はスマホにくぎづけで子どもの顔を見ていない。この状況をなんとかしたいと思いました」
 

いなさプレーパーク

そこでまず木俣さんは、自身の3人の子どもたちと自宅裏の路地で遊ぶ、ということをはじめました。「ここで遊べばいいよ」と、地域の人たちも背中を押してくれました。
ただの路地なので、遊具はありません。でも、地面に穴を掘ったり、木に登ったり、ドッヂボールをしたり…と、子どもたちが「やりたい」と思ったことや、名前もつかないような遊びが次々とくり広げられ、退屈することはありませんでした。
その路地は通学路になっていたので、学校帰りの子どもたちが次々とよってきては仲間に加わり、いつしかその場は「プレーパーク」と呼ぶべきものに育っていま した。「いなさプレーパーク」の始まりです。その後、遊びの場所を金指農村公園に移し、そこの世話人をしている方の厚意で畑仕事もできるようになるなど、 活動内容がどんどん広がっていきました。
 

子どもは大人の予想を裏切る。
「いいよ、やってみな!」と言えるかどうか

いなさプレーパーク

木俣さんが、プレーパークにくるお母さんたちに最初に伝えるのは、「ここでは、(子どもを)怒らなくていいからね」ということ。そのひとことで、お母さんたちは皆、楽になるのだそうです。
どろ遊びや水遊び。思い切り走ったり飛んだり。火をおこしたり、何かを作ってみたり。塾や習い事の時間も気にせず、とことん遊ぶ――そんなことが、とても難 しい現代の社会。大人の顔色を伺いながら過ごしていた子どもも、子どもを叱ることに疲れた大人も、お互いに開放されるのがプレーパークという場です。
 

いなさプレーパーク

「この遊びをさせるのは危ないかな、ケガしちゃうかもしれない…という場面にもしょっちゅう出くわします。そんな時、『いいよ、やってみな!』と言うか、 それとも止めるのか。その見極めが大切だし、腹をくくる必要があります。どの程度まで『いいよ』にするのか? 子どもは、『イタズラしていいよ』って言ったら本当にするから(笑)、ケガをすることだってあります。でも、『これをやったらケガをするんだな』という経験を積むことも大切。小さなケガをいっぱい しながら、危険から身を守ることを学び、大きく成長していけばいいなと思います」
 

「子育て中だからこそ出るパワー」が親にはある! と思う

いなさプレーパーク

子育てをしながらプレーパークを運営するのは大変でしたが、この活動に共感し、助けてくれる仲間も増えました。いつしかプレーパークは、子どもたちだけでなく、木俣さんや仲間の親たちにとっても、大切な居場所になっていました。木俣さんはその後、PTA会長を引き受けて多忙となり、一時期は活動をスローダウンしましたが、今は再び活発に動いています。

ここまでの歩みを振り返ってみて、今、木俣さんにはこれからやっていきたいことがあります。
「これからは、『子どもの遊び場を作りたい!』と思っている親たちのサポート的な動きをしたいと思っています。それがプレーパークであってもなくてもかまわないんですが、自分たちで子どもの遊び場づくりをしたい人の団体立ち上げを、一緒に考えながら応援できたらいいな、と。あらかじめ作られた場を利用するのと比べたら手間もエネルギーもかかるけれど、やはり自分が今育てている子どもと一緒に主体になって活動をしたほうが楽しいし、子育て中の親だからこそ湧きで るパワーというものがあると思うんですよ」
 

いなさプレーパーク

実際に、浜松市街地で子どもの遊び場づくりを考えている若いお母さんのグループに望まれて、相談に乗ったこともあります。場所の確保など、乗り越えなければならない問題があって未だ実現には至っていませんが、親たちのそうした想いを木俣さんはしっかり共有しています。
「子どもたちの“今”を大事にしていきたいんです。だって、時間は戻りませんから。そして、その今をかけがえのない“思い出”という宝にしたい。やってみたい方は、声をかけてください。出向きますよ!(笑)」

木俣雅代さん プロフィール

浜松市浜北区に生まれ育つ。
保育士、重度心身障害者病棟での勤務を経て、学童保育の指導員として働く。
自身の子育て生活中に、いなさプレーパークを立ちあげる。

  • いなさプレーパーク代表
  • 日本冒険遊び場づくり協会 会員
  • 日本こままわし普及協会 会員

(2014年2月28日にインタビュー 談・いなさプレーパークの写真提供:木俣雅代さん 取材・文 ぴっぴ 寺内美登里)

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