TOPぴっぴのブログ特集記事クローズアップ「ひと」山田万祐子さん 浜松ホトニクス株式会社

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山田万祐子さん 浜松ホトニクス株式会社

いくつもの決断を超えて。目指す農業で企業力を高める

山田万祐子さん

「見てください。私この景色が大好きなんです!」と真っ先に案内されたのは、ビニールハウス。そこには一面、あざやかな緑色のじゅうたんを敷き詰めたようなベビーリーフがすくすくと育っていました。浜松市浜北区の浜松ホトニクス(株)の敷地内には800坪の研究農場があります。ここで作られているベビーリーフは丁寧に手摘みされ、「リッチリーフ」という名前で、大手スーパーやレストランなどに出荷されています。こちらを一から立ち上げてきたのが、山田万祐子さん。現在9歳、11歳、15歳の3児のママでもある彼女が仕事と子育てのバランスをとりながらどのような選択や決断をしてきたのか、山田さんの道のりを取材してきました。

アジアの田園風景に魅かれ、JICA海外協力隊での農業支援を目指す

山田さんは磐田市出身。父親の仕事が造園業だった影響で子どもの頃から造園や農業への憧れがありました。「勉強よりも、人間として豊かになれ」という教育方針のもと、両親はいろいろな経験をさせてくれました。その1つが海外旅行。行き先はアメリカなどのメジャーな観光地ではなく、インドネシアやタイ、フィジーなどでした。ここで目にしたのは、自分と同じ歳くらいの子どもが水牛をひいて田んぼ仕事をしているという日本とはまるで違う光景でした。こののどかな風景に魅かれ、農業の仕事を目指すきっかけとなりました。JICA海外協力隊で農業支援することが夢となり、高校生の頃には農業大学へ進学したいとはっきり決めていました。

農業大学卒業後の進路はJICA海外協力隊を希望していましたが「まだ技術もないのに海外へ行っても役に立たないだろう」と両親に反対されてしまいます。まずは「企業に就職し勉強しよう」と切り替えたのが、ひとつめの大きな決断でした。地元の企業で当時より農業分野にも取り組んでいた浜松ホトニクス(株)に入社。農業分野に配属され3年間研究をしていましたが、自分の研究が、悩んでいる農家さんを直接的に助けることができていない現実にもどかしさを感じていました。やはり農業支援をしたいとJICA海外協力隊へ行く事を決心し上司に相談したところ、当時開校が予定されていた光産業創成大学院大学への国内留学を勧められました。これは、浜松ホトニクス(株)をはじめとするものづくり企業などが出資し、光技術の産業応用を中心とした起業家・事業家の育成を目的として浜松市に設立された社会人向けの学校です。農業支援の夢を抱えながらも、山田さんは入学を決めます。ふたつめの決断を経て2005年4月、社会人と学生という2足のわらじを履いた新しい生活が始まりました。

結婚、起業、出産、子育て…怒涛の日々の中で

ビニールハウス

チャレンジはここから始まります。入学して2か月後、同じ会社の先輩と結婚。ご主人は常によき理解者であり、相談相手だったので、これまでと変わらず働き続けることができました。大学は起業が学位取得の条件で、ご主人にも相談の上、自己資金300万を元手にして、山田さんが現在運営する(株)浜松ホトアグリの元となる小さな会社を立ち上げます。この会社のコンセプトは光と農業の融合。まずは農場を借り、その近くへ自宅を引越ししました。

農業に取り組む

その1年後、2006年には第1子の出産を迎えます。妊娠中から保育園探しを始め、産後3か月で仕事復帰することを選択します。生後まもない子どもを預かってくれる保育園は少なく、自宅から遠い園を選ばざるを得ない状況でした。毎日、自宅から保育園を経由し、1時間かけて大学へ通いました。農作業と論文の日々で、子どものお迎えは19時近くになってしまうことも多かったそうです。女性が起業し農業の分野で活躍している様子は新聞や雑誌など多くのメディアにも取り上げられ、とても忙しい日々でした。「あの頃は周りにも注目され、いろんな期待と責任を背負っていたので、とにかく仕事がんばらなきゃ、とがむしゃらでしたね」と振り返ります。

働き方を変える決断。感謝を「ありがとう」の言葉に込めて

家族と

2010年には第2子、2012年には第3子を出産します。仕事と育児の両立に試行錯誤する日々でした。朝のうちに夕食を作っておくなど、スムーズにまわる家事のコツもつかめるようになってきたある朝、子どもが学校に行き渋ったので一緒に学校まで歩いていくと、途中で「ママは仕事でしょ。もういいよ」と言われてしまいます。その言葉を聞き「やはり仕事のせいで子どもに我慢させてしまっているな」と胸を痛めたそうです。そんな経験から働き方を見直し、ONとOFFを明確にして、勤務時間の中でいかに効率良く、質高く仕事ができるかを考えて働こうと決心しました。家族の時間を大切にするため「残業は基本的にしない、泊りの出張はしない」と自分のルールを作りました。日頃からもっと家族に自分の気持ちを伝えようと、帰宅時は「ただいま」から「ありがとう」という言葉に変えました。「いつも待ってくれてありがとう」といった感謝の気持ちが、このひと言に凝縮されています。新たな働き方を選択することで、子どもたちと過ごす時間にも変化が起きたのです。

慌ただしい毎日でしたが、子どもの学校のPTA会長まで引き受けました。「おかげで子どもたちの学校の様子もよくわかるようになってよかったです。大変だけれど、学校が望んでくれるならやっちゃおうかなという気持ちでやっています」と話します。一見逆境に見えることもポジティブに考える前向きさが、山田さんの乗り切り術なのでしょう。

「今を丁寧に考える」ことで自分の選択肢を導く

みんなが働ける環境

相談しやすい上司と働きやすい環境に恵まれたことは間違いありませんが、改めて自分が働き方について考え工夫したことで、運営する(株)浜松ホトアグリにおいても多様な人が働ける環境が整ってきました。現在は、女性7名、障がいのある方5名を雇用しています。障がい者雇用は自然な流れでした。(株)ホト・アグリの運営時に、近所の障がい者施設から1人の実習生を受け入れたところ、違和感なく働けると確信しました。「障がい者にとって、土を触り、種を植えてから収穫まで経験できる農業はとっても合っているんですよね。また、野菜をいろどりよくパッケージする部分は女性の従業員に全て任せています。農業には女性の能力が発揮される部分がたくさんあるんですよ」と話します。山田さんが目指すのは女性と障がい者が主役の農業。今まで決断してきたことが、山田さんの原点で理想である「緑の畑でみんなが一緒に働いている光景」に繋がりました。そんな働き方が認められ、2017年には正式に浜松ホトニクス(株)の100%子会社となり、「(株)浜松ホトアグリ」として新たなスタートを切りました。2021年12月には特例子会社の認定申請予定で、会社の中でも大事なポジションを担います。

これまでいくつもの人生の選択肢をどう決断してきたのかを伺うと、「あんまり先を考えすぎず、"今を丁寧に考える"ことですかね。そうすることで、将来どんな方向にいっても、あの時あれだけ考えて出した答えだから間違いない!と思えるから」と答えてくれました。小さいお子さんを持つママたちには「今、大変だよね。でも子育ても10年くらいたつと少し楽になるから仕事も続けているといいことあるよ」と伝えてあげたいそうです。仕事も子育ても一緒で、今自分にできることを一生懸命やることが明るい未来に続いていくということを、働くママのパイオニアとして山田さんが証明してくれているようでした。

山田万祐子さん プロフィール

磐田市出身。浜松ホトニクス(株)入社後、2005年4月に開校された光産業創成大学院大学に入学し博士号を取得。(株)浜松ホトアグリの立ち上げに尽力する。(株)浜松ホトアグリの運営を行う一方、現在は浜松ホトニクス(株)の総務部に所属し、社内の障がい者雇用、女性活躍推進活動を行う。企業在籍型職場適応援助者(ジョブコーチ)等の資格を活かし、誰もが働きやすい職場環境を目指している。

浜松ホトニクス株式会社
所在地:浜松市中区砂山町325-6 日本生命浜松駅前ビル
TEL:053-452-2141
URL:https://www.hamamatsu.com

取材・執筆/三浦 貴子

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