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浜松も塩害に苦しんだ

昭和の初め頃までは、北区三ケ日町あたりでは、い草作りが盛んだったそうです。
それは、1707年に遠州灘沖から紀伊半島沖を震源に起こった宝永地震により、浜名湖の奥に位置する三ケ日あたりは塩害で米を作れなくなったことがきっかけだといわれています。
(その頃はすでに浜名湖の今切口ができていて汽水湖だった)


い草は塩を含むところでも生育するということで、長年にわたりい草が作られていたとか。
中でもこの地域では「太イ」という種類のい草が作られていたのだそうです。
今は畳を作る風景もあまり見られなくなってしまったようですが。


東日本大震災でも、塩害のためにひまわりや綿を植えるなどの取り組みをしているようです。
一度被害にあうと、すぐに解決には結びつかない問題です。今後も見守っていきたいですね。
(わかば)


私たちは忘れない3.11

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