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21年前の阪神淡路大震災

平成7年1月17日 午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災から、今日で21年目を迎えます。当時赤ちゃんだった子どもたちも成人しました。神戸の街はみごとな復興を遂げましたが、その一方で震災の傷跡は今も残り、その一部は神戸港震災メモリアルパーク(写真)として被災時の状況をとどめた状態で保存・公開されています。

 メモリアルパーク

 当時大阪市北部に暮らしていたぴっぴスタッフのずきんちゃんも、大きな揺れ(震度4)を経験しました。それから21年を経ても、その日のことははっきりと蘇ります。この機会にブログに書き、皆さんの参考にしていただければと思います。

 発災時は冬の早朝、朝5時46分。まだ真っ暗な中、1歳になったばかりの子どもを挟んで親子三人、寝室で川の字になって寝ていました。そんな中、突如突き上げるような地鳴りがし、激しい揺れが始まりました。はっと目が覚めましたが、あまりの揺れに体が動きません。隣で、パパが子どもに覆いかぶさって守っているのが見えました。

 揺れが収まってからそろそろと起きだし、ライトをつけて隣の部屋を見ると、室内に物が散乱し、本は全て本棚から落ちていました。食器棚の扉は開かなかったので食器類は落ちませんでしたが、棚の中で割れているようすが見えました。後から友人たちと話すと、テレビは飛び、冷蔵庫は「歩いた」とのこと。私はたまたま、寝室に何も家具を置いていなかったので、助かったのでした。

 少し離れた所に暮らす実家に電話をしましたが、通じません。しばらくは停電のためテレビもつかず、どれほどの被害なのか全体の状況がわかりませんでした。今ならとっさにスマホをとってツイッターやFacebookを見たかもしれませんが、当時はSNSも無かったのです。玄関から外に出て見ると、道路が割れて盛り上がっていました。

 そんな中、パパは翌々日から海外出張に行ってしまい、母子ふたりが残りました(関東方面への交通はストップしていなかったのです)。それからも断続的に余震は続く中、いつも不安でした。お風呂は扉を開けて入浴し、枕元に靴と懐中電灯を置いて眠りました。やがて、災害の全容がニュースなどで明らかになり、毎日報道される死者数は刻々と増えて行きました。

 大阪市(北部)―神戸市(市街中心地)間は約30km。浜松―菊川間ほどの距離でしょうか。地球規模で考えれば誤差くらいでしかない距離ですが、被害の状況は大きく異なっていました。それからの日々のことや友人たちのことなど、まだまだ書きたいことは尽きませんが、ここまでとします。そして、現在子育て中の方たちに「いつか必ず来る災害のために備えておく」ことを強くすすめたいと思います。

 震災のようすはこちらのアーカイヴで見ることができます。

◎阪神・淡路大震災「1.17の記録」

(ずきんちゃん)

 

 

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