クローズアップ「ひと」

松本なお子さん ストーリーテラー【前編】

2012年8月6日

お話を語ることは、愛情を注ぐこと。 自分も幸せになれる!と教えてくれるのが“昔話”

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これから昔話を語る人へ~語り手入門~」等の著書があり、ストーリーテリングや読み聞かせの指導者として日本全国にファンがいる松本さん。浜松っ子には、中区長としての経歴がある“辰巳なお子”さんとしての実名のほうがおなじみでしょうか。ご自身も生まれ育った浜松での子育てのこと、物語を語る意味についてなど、聞いてみたいことがいっぱいです。


衝撃だった、絵本や児童文学との出会い

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堂々とした風格、優雅な雰囲気を持つ松本さんですが、意外にも「思春期の頃は引っ込み思案で、自分に自信がなかった」と言います。「18歳くらいまでは本当にコンプレックスの塊で、とことん悩みました。でも、あるとき“私はいつまで、こんなウジウジした人生を歩んでいくんだろう”と気づき、そこから変わっていきました」

大学卒業後は、希望が叶って浜松市図書館に司書として就職。たまたま先輩職員の産休代理で入った児童室で絵本や児童文学に出会い、その面白さに衝撃を受けたという松本さん。「もう、面白くて、毎日借りて帰っては夢中になって読みました。20歳を過ぎた私がこんなに面白いと思うのだから、子どものときに読んだらどんなに面白かったか…。決して本が嫌いな子どもではなかったし、学校図書館には入り浸っていたのに、なんで誰もこんな面白い本の存在を教えてくれなかったの?と恨みました。そして、ふと、思ったの。もしかしたら、今の子どもたちも知らずに過ごしているかもしれない、私みたいな悔しい思いをしないように積極的に教えてあげたい、って」 

(写真:読み聞かせの講師をする松本さん)

志ある方たちの「家庭文庫」が学びの原点

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松本さんが図書館司書となった当時、東京や名古屋の図書館では積極的に行われていた子どもへの読み聞かせは、浜松ではまだ行われていませんでした。松本さんは様々な勉強会に参加し、読み聞かせやストーリーテリングについて学びました。特に、70年代に盛んだった“家庭文庫”(有志が個人宅を解放して読書の場としたもの)は、松本さんを育む格好の場となりました。

「当時の家庭文庫の雰囲気は、すごく活気があって楽しいものでした。普通の8畳間に本棚が置いてあるような部屋に、子どもたちが座りこみ、好きな本を読んで。私も図書館がお休みの日はそこに入り浸っていました(笑)。私が読み聞かせやストーリーテリングをするときに座る椅子は醤油樽で、その名も“おはなしのたる”。それが出てくるとお話が始まる印だから、子どもたちがぞろぞろ集まってきて、ひしめきあって座りました。子どもがお話をよく聞いてくれない時は、読んだ本を後で見直しました。すると、子どもの視点から外れていたり、結末が弱かったり、理由が必ず見つかるんです。子どもの反応ってすごいですよね。絵本やお話の良し悪しを正確に教えてくれるんです」 そのようにして研鑽を積んだ松本さんでしたが、実際に図書館での仕事に反映できるようになるまで、10年の歳月を要しました。時間をかけて着実に、読み聞かせボランティアとの連携や図書リストの整備、読み聞かせ講座などの児童サービスを実現していきました。 中央図書館長を経て、市役所子ども家庭部に移りましたが、そこでさらに視野を広げる経験ができたと言います。 「子どもの育ちを、広い意義で捉える事ができました。特に、いろんなところに子どもの育ちを支援する人々がいると知ったことは大きな収穫でした。それまでも家庭文庫や学校・幼稚園など、多くの方と連携をしていましたが、さらに福祉・保健・医療などの現場で頑張っている人たちを知ることができました」

(写真:浜松市の家庭文庫「えほん文庫」の現在のようす)

大人が暮らしの中でお話を語っていた浜松

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一貫して子どもたちに“お話”を、特に“昔話”を語ることを大切にしてきた松本さん。ですが、意外なことに「浜松という場所は、固有の昔話が無いところなんですよ」とのこと。なぜなら昔話というものは、主に寒さが厳しい冬、囲炉裏を囲んで手仕事をしながら語り継がれたもの。浜松は気候が良いので、冬でも生産活動ができたため、昔話が育たなかったのでは?と、松本さんは考えます。

では、浜松の大人は子どもにお話を語ることが無かったのか?といえば、決してそうではありませんでした。おばあちゃんやおじいちゃんが子ども寝かしつけながらお話を語ったり、昼間、手仕事をしながら近所の子どもたちにお話を聞かせたりすることは、ごく普通に行われていました。造り酒屋で、酒を仕込む時期に酒蔵に寝泊まりしながら、暇をみつけては近所の子どもにお話を語る杜氏(とうじ)がいたこともありました。(その“近所の子ども”の一人が、松本さんのご主人だったそうです!)また、鋳掛屋(いかけや:鋳造された鍋・窯などの鋳物製品の修理を行う職人)や研ぎ屋などが、道端で仕事をしながら、仕事の様子を見に集まってきた子どもたちに世間話のような昔話のようなものを聞かせることもあったそうです。昭和の浜松は、のどかでほほえましい光景がくり広げられていたのです。 「浜松には昔から豊かな自然環境がありましたし、おじいちゃんおばあちゃんと孫が一緒に暮らす三世代同居家庭が多かったことも、子どもにとってプラスに働いていたと思います。子ども会組織も昔からしっかりしていたし、地域コミュニティの崩壊が遅かったんですね」 


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ですが、“ゆとり教育”が始まった1980年代以後、子どもたちが急に忙しくなり、家庭文庫に来る子も減ってしまいました。放課後の子どもたちの時間は、部活や塾・お稽古ごとなどで埋められてしまったのです。

「東京の図書館員たちが『最近の子どもは落ち着きがない、お話をじっと聞かない』と言いだしても、『いいえ、浜松の子どもたちはちゃんと聞くわよ』と思っていました。ところが、数年後追いかけるようにして、同じ現象が浜松でも現れました。ビデオやゲーム・インターネット・ケータイなどが子ども社会に浸透したことが大きいと思います。そして、子ども以前に親たちがそうしたものに時間をとられ、子どもを見ないでPCやケータイの画面を見てしまう。その影響が子どもにどう出てくるか、とても心配です」 現在の子育て状況は、松本さんの目にはどのように映っているのでしょうか。

(写真上:浜松市城北図書館の児童開架 写真下:イメージ写真) 


<後編に続く>