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ふるさとに帰れない園児たちのため、避難先で幼稚園を再開

東日本大震災から5年 今伝えたいこと<5> 

堀内恵梨子さん
(富岡幼稚園 園長)

ぴっぴ:福島県富岡町から会津若松市に避難し、幼稚園を再開するまでのことを聞かせてください。

堀内さん:もともと私が園長をしていた富岡幼稚園は、福島県双葉郡富岡町。福島第一原発から10kmの場所です。発災当初、町民に対して原発事故の情報は知らされないまま、避難指示だけが出て公民館等に避難しました。夜中、ヘリコプターが飛ぶ音が響いていたため、私はドイツ人の夫と「これは異常事態だ」と話し、遠くに避難することに決めました。夜明けとともに家族を連れ、何も持ち出せずエプロン姿のまま車を走らせました。原発事故について町内一斉放送があったのは翌朝6時だったそうです。道路は大渋滞で、1km進むのに4~5時間もかかりました。

たどり着いた新潟で避難生活をしていましたが、当時小学3年生だった娘に「私の学校はどうなるの?」と言われ、会津若松市まで戻りました。その後、縁あって廃園となった幼稚園施設を紹介され、被災し避難している家庭の子どもを無償で預かることを始めました。最初はたった二人の園児でしたが、これが幼稚園の再開につながりました。現在は避難児童・現地児童あわせて18人の園児を預かっています。

会津若松の現園舎

ぴっぴ:2011年当時、被災した子育て世代にまず必要だったものは、何だったのでしょうか?

堀内さん:被災した親は、孤独です。生きるか死ぬか、明日どうなるかわからない大変な目に遭った辛さや苦悩を抱えています。何に困っているかは各家庭によって違うので、「これが欲しかった」「これをしてほしかった」と単純に言うことはできませんが、とにかく「誰かに寄り添ってほしい」という思いがありました。しかし、それは一日だけ派遣されて来るようなカウンセラ―に話せるようなものではありません。再開した幼稚園で、避難した親子同士が再会し、横のつながりができたことは大きな支えになったと思います。

ぴっぴ:現在、被災地の子どものいる家庭で問題・課題だと思うところがあれば教えてください。

堀内さん:避難生活が長くなりすぎて、今後、自分たちがどこに住めば良いのかわからなくなっています。元暮らしていた沿岸部のまちなのか?おじいちゃん・おばあちゃんが住むまちなのか?と。同じ福島県内でも地域によって風土や気質が全く違うため、避難先の土地にいつまでも馴染めず、どこのコミュニティにも属せない家庭もあります。今の園児たちは5年前の震災当時のことは赤ちゃんだったので覚えていませんが、この子たちには「ふるさと」がありません。仕事の関係で父親だけが福島に残っている家庭は、家族もばらばらになったままです。

ぴっぴ:東日本大震災以降の5年間をふり返り、子育て家庭への支援制度や意識等、変わったことはありますか。

堀内さん:何も変わっていないと思います。避難してきた私たちは、生活するために、ただ目の前のやるべきことを日々こなしていますが、なぜこんなことになったのか納得していませんし、苦痛も無くなるものではありません。子育てしている方たちには放射能の心配もあるでしょう。夫は「ドイツでは原発をやめたのに、なぜ日本はやめないのだろう」と言います。

東北以外の地域では、震災のことは忘れられつつあります。このように取材をお受けしているのも、忘れてほしくないからです。日本は地震大国。全国の人に「明日はわが身」と考えてほしい、と伝えたいです。

富岡町の旧園舎

堀内恵梨子さん(富岡幼稚園 園長)

堀内恵梨子さん

福島県南相馬市出身。1989年~2007年、オーストラリア・シドニーに暮らす。2007年、家族で福島県双葉郡富岡町に移住。祖父の築いた富岡幼稚園の副園長として勤務。2011年3月11日、東日本大震災原発事故により自宅・幼稚園共々避難を余儀なくされる。2011年8月、福島県会津若松市で仮園舎にて富岡幼稚園を再開。理事長・園長に就任。

※本文中の写真提供:堀内恵梨子さん(上:会津若松の現園舎 下:富岡町の旧園舎)

 

<ぴっぴから>

幼稚園・保育園や学校のPTA、勤務先、自治会・ご近所、昔からの友達、SNSなど、私たちはいろいろなつながりの中で生きています。日頃は意識していなくても、こうしたつながりが、災害時には命綱になるはずです。

ぴっぴも、防災講座では必ず「地域のネットワーク」の大切さについてお話していますが、それはこうした理由があるからなのです。 ぴっぴは、これまでに何度も幼児やその家族を対象にした防災講座を行っています。幼児でも、大人と一緒にいざという時に役立つ知恵を学ぶことはできます。「子どもは、大人が守らなければならない」ということだけでなく、子ども自身にも、いざという時に自分の命を守る知恵を、身につけておいてほしいものです。そして、そのための講座や訓練は、1度やってみたことがあるからそれでよいというものではありません。以前学んだことを思い出したり、新しい知識を身につけたりするために、何度もやってほしいものです。

また、被災の体験談は、私たちの現在の備えに様々な問題提起をしてくれます。「いざという時、備えていたことしか、役に立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった。」という話を聞いたことがあります。備えておくことは大切です。しかし、完璧な備えは誰にもできることではありません。想定外の事態について備えることは難しいです。だからこそ、東日本大震災の教訓を忘れてはいけないのではないでしょうか。

<わかば>

「東日本大震災から5年 今伝えたいこと」シリーズ

私たちは忘れない3・11

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